休日のファッションに欠かせないのが、バッグ。
同居している彼女と一緒に出かけるときも、自分だけが出かけるときも、彼女が友達と出かけるときにも使えるバッグが便利なんだけど。
そう思ってウィンドウショッピングでブラブラ歩いて見ていても、意外と発見できないものですよね。
ボッテガ・ヴェネタのバッグも候補なんだけど女性向きな印象があるし、ヌメ革のブリーだと男性的なイメージが、、、。
こんなお悩みをお持ちのあなたに、今回はとっても便利なバッグをご紹介します。
今回ご紹介するバッグはトートバッグですが、非常に上品。
だってフランスの名品と呼ばれているブランドですから。
そして大事なことは、
歴史は古いのに、まだまだこのブランドは「ファッショニスタ」にしか知られていないということ。
ブランドの顧客も
・ピカソ
・カルティエ
・ココ・シャネル
など、芸術やデザインに精通した人がファンになっているということ。
いかがですか?
ファッションに強いあなたなら、ムクムクと興味が沸き上がってきませんか?
このトートバッグなら、同居している彼女も大喜び間違いナシ。
男性が持っても、女性が持っても、上品でしかも軽くて使いやすいのも特徴です。
ただ一点、大きな問題は、彼女と一緒に出かけるとき、どちらが持つかでケンカになるかもしれません。
それでは、フランスの名品と呼ばれる『ゴヤール』のトートバッグをご紹介します。
ゴヤールの歴史
ゴヤールは「メゾン・マルタン」から始まります。
まずは「メゾン・マルタン」のお話しからお聞きください。
メゾン・マルタン
1792年に「ピエール・フランソワ・マルタン」によって創業されました。
これが「ゴヤール」への第一歩です。
メゾン・マルタンは、旅行用の木製箱、梱包用品の専門メーカーとしてフランスに生まれたのです。
入れ物としての箱作り。
美しく壊れないように運ぶための梱包用品。
まだ、フランスでトランクメーカーがひしめく前に、メゾン・マルタンはこのようなサービスを行っていました。
壊れやすい家具や貴重品を安全丁寧に梱包し運ぶだけでなく、
・帽子
・ガウン
・花
・オイルドキャンバス
・キャンドル
などにも、わらを使って梱包し丁寧に運んでいた記録が残っています。
233、それは今も続くゴヤールの原点
丁寧に、そして安全に運ぶことができる箱と梱包技術は瞬く間に、上流階級の人たちへ広まりました。
そして、とうとう「ベリー公爵夫人」である、マリー・カロリーヌ・ド・ブルボン・シシル妃殿下御用達という名誉を受けることに。
そんなメゾン・マルタンは1834年にヌーヴ・デ・キャプシーヌ通り4番地にありました。
しかしその後、サントレノ通り347番地へ移転。
1856年に番地の番号が変更される施策により、現在のメゾン・ゴヤールにも引き継がれている原点である「233」という番地に変わります。
この「233」という番号に変わって以来、脈々と同じ場所「233」で今日もゴヤールは伝統と物語を紡ぎ続けています。
メゾン・ゴヤール
名誉を与えられたメゾン・マルタンに、1845年「フランソワ・ゴヤール」という17歳の少年が、マルタンの後継者であるモレルに弟子入りします。
ゴヤールはモレルの元で技術を磨き、職人として必要なことを教わりました。
1852年、ゴヤールが24歳のとき、突然モレルがこの世を去ります。
モレルから後を引き継ぐことになったのが、24歳の青年「フランソワ・ゴヤール」。
その後、メゾン・マルタンはメゾン・ゴヤールへ引き継がれ、1856~1885年までの32年間に、フランソワ・ゴヤールによって驚くような躍進を遂げます。
そして19世紀後半、時代がメゾン・ゴヤールに追いつくことで、高級トランクメーカーとして、ひとつの時代を築くことになるのです。
ゴヤールの誇り
メゾン・マルタンからメゾン・ゴヤールへ。
そしてフランソワ・ゴヤールは1885年、息子の「エドモン・ゴヤール」に後を継がせます。
そして、現代のゴヤールの成功と羨望を集めるきっかけになったのが、息子エドモン・ゴヤールの手腕でした。
戦略
フランソワ・ゴヤールの息子であるエドモン・ゴヤールは、ある戦略を用いました。
ゴヤールはその戦略のおかげで、後のゴヤールの立ち位置を明確にし、そして価値を生み出すことになったのです。
では、その戦略とはいったいどんなことだったのでしょうか。
それは、たったひとつのこと。
しかし、自分たちの仕事に自信がないと出来ないことでした。
その戦略とは、販売対象を
『富裕層のみの限定』
としたことでした。
この戦略を足がかりに、エドモン・ゴヤールはメゾン・マルタンから引き継がれている伝統を担いながら、同時に経営的な手腕を発揮。
・モンテカルロ
・ビアリッツ
・ボルドー
の3都市へ支店を展開。
ロンドンのメイフェア、ニューヨークに販売代理店を出店。
フランスのメゾンだったゴヤールを、世界規模へ発展させていったのです。
エドモンは販売網の拡大だけではなく、世界万博へ参加したり、ペット用品やカー用品の新ラインを発表。
今まででは考えられなかった、トランクメーカーが大々的な広告活動へ足を踏み入れるきっかけとなりました。
また、ゴヤールにとって最も大事なことを、エドモンは誕生させます。
それは、ブランドのシグネチャーである「Y字の杉彩模様」が施されたキャンパス地である「ゴヤールディン」。
現在でも、このキャンパス地は、古さを感じさせることがありません。
職人魂
1998年、ゴヤールの熱狂的コレクターでもあった「ジャン・ミッシェル・シニョル」が会社を買収という形で受け継ぎます。
熱狂的なコレクターであり、そしてメゾンの歴史と価値を存分に理解した男と、3人の息子はメゾン・ゴヤールをさらに発展させていきます。
初代ゴヤールであるフランソワは、製作工程を全て自分たちのアトリエでコントロールすることが出来れば、完璧な理想のものが出来上がると信じていました。
このフランソワの信念をシニョルと3人の息子が忠実に受け継ぎます。
父でありゴヤールの熱狂的コレクターのシニョル。
スペシャルオーダー担当のアレックス。
カスタムオーダー担当のレミ。
ゴヤールディンキャンパスの技術担当にピエール。
それぞれが伝統と技術を分担し、そして経営にも参加するという方法を行うことで、経営と伝統、そして職人魂という本来相容れないものを息づかせることに成功したのです。
そして、ラグジュアリーへ
パリでメゾン・マルタンとして家族経営で始まったトランクメーカー。
現在ではフランスを代表するラグジュアリーブランドへと進化しました。
また、大手グループとの契約や制約を持たないブランドなので、いつまでも職人気質であり、本物を作り続けることに強いこだわりを持ち続けています。
世界的な展開。
アメリカやアジアへの販売店舗の展開をしながら、メゾンの魂を今も、そしてこれからも伝え続けている。
そんなラグジュアリーなブランドが、ゴヤールなのです。
ピカソ、カルティエ、ココ・シャネル、その隣はあなたかも
1853年、フランソワ・ゴヤールがメゾン・マルタンを受け継いでから160年以上にわたり、多くの芸術家やデザイナー。
企業家、指導者、王室関係者、19世紀や20世紀を代表する著名人が、サントレノ通りの「233」番地に足を運びます。
ゴヤールでは、顧客のオーダーをインデックスカードに残し、キャビネットへ保管しています。
このインデックスカードには、
・パブロ・ピカソ
・サシャ・ギトリ
・ジャック・カルティエ
・アニェッリ家
・ロックフェラー家
・ロマノフ家
・エスティ・ローダー
・ココ・シャネル
・ロミー・シュナイダー
・エディット・ピアフ
・カール・ラガーフェルド
といった、顧客のリクエストが全て書き込まれている貴重なもの。
しかし、ゴヤールでは顧客の有名、無名は全く関係なく、職人であるメゾン・ゴヤールが顧客と永いおつき合いを続けたいという想いが強く表れている証拠です。
また、この大切に扱われているインデックスカードを見ていくと、ファッション界で有名な「ウィンザー公爵夫妻」がゴヤールに初めて足を踏み入れたのが1939年と記されています。
そして、そのカードは、公爵夫人が亡くなられた1986年まで大切にそのまま保管されていたのです。
門外不出の生地レシピ、ゴヤールディン
1892年、フランソワの息子であったエドモン・ゴヤールは、ゴヤールディンというキャンパス地を誕生させます。
このキャンパス地は、ゴヤール家が代々営んでいた「材木運送業」からインスパイアされていると言われています。
杉彩模様は、薪を連想させます。
また、水に強いキャンパス地であるゴヤールディンの発想は、水路を「いかだ」で薪を運んでいたところから着想を得たのでしょう。
コットンと麻で織ったキャンパス地に、天然塗料を塗ることでレザーのようなしなやかさ、風合い、そして水に強い性質を持たせることに成功。
丈夫で長持ちでありながら、やわらかい肌触りと撥水性。
この時代では革新的な技術を取り入れたキャンパス地でした。
ゴヤールの杉彩模様は下地を塗った後、手作業で3回にわたって色を重ねていくことで、ゴヤール特有の模様が仕上がります。
そしてキャンパス地のゴヤールディンが出来上がるのですが、この生地の製作過程はどのメゾンでもあるように門外不出。
この不思議な模様と使い込むほどに美しさが増す魅力を、あなたも手に取ることで歴史と職人魂を感じてみてはいかがでしょうか。
マーカージュであなただけのカスタマイズ
ゴヤールでは、マーカージュというイニシャルや模様をバッグに刻印する、「パーソナライズという名の芸術」があります。
この芸術の発祥はゴヤール家の代々続いていた家業に関係しています。
もともとパリへ水路を使って薪を運ぶ河川運送業者であったフランソワ・ゴヤールは、木材に印を入れるということが身近なこととしてありました。
遠くから木材を一目見てわかるように印を入れる。
複雑な家紋を入れる技術や、水でも消えない耐久性も必要でした。
そんな技術をフランソワは、トランク作りに取り入れたのが始まりです。
完成品であるトランクに職人達がひとつひとつ天然色素を使って描いていく。
繊細な手仕事と芸術性が要求される特別なスキルは現在にも受け継がれ、その完成度の基準は厳しく守られています。
マーカージュは全て職人の手仕事です。
また、日本の直営店ならオーダーも可能。
そして、うれしいことに現在は、オンラインでマーカージュのシミュレーションが楽しめます。
イニシャルの形(フォント)やカラーも選べますから、オリジナリティある、あなたをパーソナライズするマーカージュを考えてみてください。
トートと言えば「サンルイ」
昔から使われているトートバッグを現在風にアレンジしたのが「サンルイ」です。
すっきりとしたデザインは、カジュアルシーンで活躍すること間違いありません。
ゴヤールの特徴であるキャンパス地「ゴヤールディン」を使用することで、世界中のファッショニスタに多くのファンが存在します。
こんなサンルイですが、トートバッグに要求される最も大切なことは何だと思いますか?
ゴヤールの考える大切なこととは「ディテール」なのです。
サンルイはクラシックなバッグですが、美しさと機能性を失っていません。
これはディテールを積み重ねた結果、シンプルで長い間変わっているように見えなくても、実は数々のノウハウを積み重ねたものだからなのです。
サンルイには「さりげなく」数々のノウハウが活かされています。
そして、このノウハウはゴヤールの職人気質から生み出された洗練された技術の結晶なのです。
少しだけサンルイの特徴をお話ししますと、表の両側の模様が完璧に繋がっています。
模様が一切ずれていません。
このディテールはトートバッグを作る上でゴヤールが初めて用いた技術です。
そして、軽くて丈夫、水にも強いので、浜辺の砂の上に置いても心配はいりません。
次にトートバッグにとって大事な部分があります。
それは「ハンドル」の部分。
サンルイのハンドルは、革を何層にも重ねて1本のハンドルと作り上げています。
この技も専門の職人でしかできないこと。
この手間と技術を掛けた結果、ハンドルに耐久性を持たせながらも、革独特の風合いと触り心地が活かされているのです。
さて、最後にサンルイの大きな特徴をお話します。
サンルイは卓越した技術。
手間の掛かった技術の積み重ね。
そして表地、裏地、全ての生地を知り尽くしているからこそできる高い品質。
これらを全て合わせることで、サンルイはリバーシブルに使うことができるのです。
普段はサンルイをそのまま使う。
でも、サンルイを裏返すと、軽くて丈夫な表生地であるゴヤールディンを裏地にすることで、少しくらいぬれた水着を放り込むことだってへっちゃらです。
ぜひ、サンルイをお持ちになったら、リバーシブルでも使ってほしい。
クラシックでシンプルなトートバッグですが、これこそサンルイが世界中のファッショニスタに支持されている「意外性」という、ファッションにとって最も近寄らせてはいけない「退屈」を放り出す部分なのかもしれません。
まとめ
ゴヤールのトートはオンラインでは販売されていません。
正規品はショップでしか販売されていないそうです。
ネットで検索するとたくさんの「類似品」が紛れていますから、「安いから」という理由だけで購入するのは危険です。
また、驚くほど精巧な「ニセモノ」も出回っていますから、くれぐれもご注意くださいね。
ですから、ぜひともショップに足を運んで、見て触れて購入して欲しいと思います。
それでは、オンラインからゴヤールのオフィシャルページに行って、まずはマーカージュを決めましょうか。
そして彼女には黙っておいて、コッソリとショップへ受け取りに。
サンルイのトートバッグを見た彼女の表情が今から楽しみですね。
そうそう、一緒に出かけるときは、彼女に持たせてあげてくださいね。
それが、デキる男の証ですから。