海外のファッションサイトに、たびたび登場しているブランド、ゴヤール。
ハリウッドスター達が片手にもっているのを目にしますが、まだまだ日本では知名度が高くありません。
でも、ファッション感度が高い女友達なら知っているのではないでしょうか。
このゴヤールというブランドは、アイテムそのものも魅力的なのですが、アイテム以外でも魅力があります。
その魅力とは「世界に一つだけ」の自分専用アイテムにカスタマイズが出来ること。
オーランド・ブルームは財布に「OB」のイニシャルを。
アイアンマンであるトニー・スタークの恋人役で有名な「グウィネス・パルトロウ」もバッグにイニシャルを。
こんな風に、イニシャルやストライプを使って自分専用のアイテムに出来しまうゴヤール。
なおかつ、女子ウケ抜群のゴヤールのアイテム達をご紹介します。
職人が作る世界で一つだけのアイテム
ゴヤールでは職人が、ひとつひとつあなたのために、大切なバッグや財布たちに芸術性豊かなイニシャルや模様を刻印してくれます。
マシンによるイニシャル入れなら他のブランドでも行われていますが、ゴヤールのように職人による手作業でオリジナリティあふれるアイテムに仕上げてくれるところはありません。
世界に一つしかないアイテムだったら、愛着がわかないなんてことはありませんよね。
それでは、職人が手作業で行う刻印についてお話しします。
マーカージュという芸術
ゴヤールでは、イニシャルや模様をアイテムに刻印することを「マーカージュ」と呼んでいます。
このマーカージュはマシンで自動的に刻印するものではありませんから、「パーソナライズという芸術」と言えるかもしれません。
マーカージュは本当に全て職人による手作業。
ひとつひとつ責任を持って完成させますから、出来上がりまでに時間が掛かります。
でも、その分、あなたのオリジナリティをアピールしたいのならマーカージュは間違いなく正解です。
そんなマーカージュを現代はインターネットからオンラインでシミュレーションすることができるのです。
ゴヤールのオフィシャルサイトにあるオンラインシミュレーターで、あなただけのマーカージュをデザインしてみるのも楽しいですよ。
ここで1点、マーカージュについて注意があります。
それは、日本でマーカージュを入れたい場合には、必ず日本の直営店で購入してオーダーしないといけないということ。
ネットで購入した場合には、マーカージュを実体験することが出来ませんので、必ずブティックで購入してマーカージュを体験してください。
ブティックは東京なら
・高島屋日本橋店
・伊勢丹新宿店
・阪急メンズ東京店
東海、関西エリアなら
・高島屋大阪店
・阪急うめだ店
・高島屋京都店
・名古屋高島屋店
にある、正規品を取り扱うお店に足を運んでくださいね。
マーカージュが生まれた理由
では、なぜゴヤールにはこのようなパーソナライズするための芸術であるマーカージュが存在するのでしょうか。
ここではその理由をお話しします。
まず、ゴヤールが行っているマーカージュという刻印は、ゴヤール家が代々受け継いできた家業に関係しています。
ゴヤールを発展させたフランソワ・ゴヤールは、もともとはパリへ水路を使って薪を運ぶ河川運送業者でした。
水路で運ぶ薪には、遠くからでも一目みてわかるような印が必要だったのです。
そして、その印も貴族は複雑な家紋を入れる習慣がありましたから、必然的に刻印を入れる技術が磨かれていきました。
また家紋以外にも一目みてわかるように、ストライプを入れたりイニシャルを入れる人も。
このようなデザイン性豊かな刻印を入れる技術、そして水路を経ても消えない技術をゴヤールは当たり前のように吸収していったのです。
そしてゴヤールがトランク作りを始めたとき、木材に印を入れるという本人にとっては身近なことをトランク作りにも取り入れたのが始まりなのです。
それからというもの、ゴヤールでは完成したアイテムに職人達がひとつひとつ、今日でもまるで19世紀のように天然色素を使って刻印を描いています。
この技術は繊細な手仕事であるいっぽう、高い芸術性が要求される特別な技術。
綿密な技量、芸術性、そして優越性を高いレベルで融合する必要がある絵画職人にしかできないことなのです。
そしてこの特別な技術はゴヤールの伝統として現代も職人から職人へ受け継がれ、マーカージュの完成度は厳しい基準をクリアしないと外へ出ることはありません。
著名人のマーカージュとは
古くはゴヤールの顧客であった「ココ・シャネル」。
シルバーとスカーレットの横ラインのストライプ2本を選びました。
そして、同じスカーレットで「C」が重なるシャネルのブランドロゴとは違い、自分のパーソナルなアイテムとして「C.C」をイニシャルとしました。
現在のセレブ達と言えば、
オーランド・ブルームは財布に「OB」のイニシャルを刻印。
「O」はイエロー、「B」がブルーという組み合わせ。
女性であれば、ニッキー・ヒルトンは全てのバッグに「NH」のイニシャルを。
グウィネス・パルトロウは「GKPM」とトートバッグにイニシャルが刻印されています。
また、イニシャル以外にも英国の公爵であったウィンザー公は、ストライプと英国の伝統に則してフルネームを刻印していたそう。
顧客それぞれの好みやこだわりに、職人がひとつひとつ細かく対応しながらも、芸術性の高い刻印「マーカージュ」を今に伝えていることがご理解頂けるのではないでしょうか。
そんなゴヤールってどんなブランド?
ここまでお読みいただいて、ゴヤールのことをもっとお知りになりたいと思われているのではないでしょうか。
それほど、ゴヤールは歴史と伝統、そして最高級のアイテムを作り続けている魅力あふれるブランドなのです。
それでは、ここからはゴヤールがどのようにして出来たのか。
お話ししていきたいと思います。
ゴヤールの歴史
ゴヤールは、実は最初から「ゴヤール」ではありませんでした。
フランスにあった箱メーカーが始まりなのです。
メゾン・マルタンから始まる歴史
話は1792年、ピエール・フランソワ・マルタンによって創業された旅行用の木製箱と梱包用品の専門メーカーから始まります。
この専門メーカーの名前は「メゾン・マルタン」と言いました。
メゾン・マルタンは、物を運ぶための入れ物としての箱作り。
そして、到着したときにも美しく壊れないように運ぶための梱包用品を手がけていました。
このころはまだ、フランスでトランクメーカーが沢山できる前のこと。
そのころから、メゾン・マルタンはこのように優れたサービスを提供していました。
そして、メゾン・マルタンは壊れやすい家具や陶器や絵画をはじめとする貴重品だけを安全丁寧に梱包し運搬するだけではなく、次のようなものも丁寧にそして安全に運んでいたと記録に残っています。
・帽子
・ガウン
・花
・オイルドキャンバス
・キャンドル
など。
このようなものまで、藁を使って梱包し丁寧に、しかも安全に運ぶ箱と梱包技術を駆使していたのです。
そして、この技術は瞬く間に上流階級の人たちへ広まります。
233番地。それはゴヤールの出発点
そんなある日のこと、ベリー公爵夫人の御用達という名誉を受けることになります。
この名誉を受けたころ、メゾン・マルタンはヌーヴ・デ・キャプシーヌ通り4番地にあったのだそうです。
しかしその後、メゾン・マルタンはサントレノ通り347番地へ移転します。
そして1856年に住所の番地番号が変更されるという施策があり、347番地は「233」番地に変更。
この「233」という数字と場所はゴヤールの原点として、メゾン・マルタンから今も伝統と共に引き継がれ、脈々と今も物語を紡ぎ続けています。
メゾン・ゴヤールへと引き継がれた気品
ベリー公爵夫人から名誉を与えられたメゾン・マルタンに1845年、一人の少年が弟子入りします。
この17歳の少年こそ、マルタンから技術と伝統を教わり引き継ぐことになった「フランソワ・ゴヤール」なのです。
1852年、ゴヤールが24歳のとき、メゾン・マルタンの後継者であり師匠であったモレルが突然にこの世を去ります。
24歳という若さでモレルから後を引き継ぎ、メゾン・マルタンはメゾン・ゴヤールに変化を遂げました。
その後、1856~1885年の32年間、後を引き継いだフランソワ・ゴヤールは驚くような躍進を遂げます。
その後、19世紀後半になり、時代がメゾン・ゴヤールに追いつくと、高級トランクメーカーとして、メゾン・ゴヤールはひとつの時代を築き上げることになりました。
ゴヤールの誇り
メゾン・マルタンからメゾン・ゴヤールへ受け継がれた技術や伝統。
受け継いだフランソワ・ゴヤールは1885年、息子のエドモン・ゴヤールにメゾン・ゴヤールを継がせます。
そして、現在のゴヤールの成功と注目を集めるきっかけになったのが、息子エドモン・ゴヤールの卓越した手腕でした。
ゴヤールの戦略
エドモン・ゴヤールは今までにない戦略を用いました。
エドモン・ゴヤールが用いた戦略とは、いったいどんなことだったのでしょうか。
ゴヤールのブランド力や価値を生み出すことになったその方法とは。
それは、たったひとつのことでした。
その戦略とは、
『富裕層のみに限定』
した販売方法でした。
この戦略が成功し、エドモン・ゴヤールはメゾン・マルタンから父であるフランソワ・ゴヤールへ、そして自分に引き継がれた伝統を担いながら、経営的な戦略という手腕を発揮したのです。
勢いに乗ったエドモン・ゴヤールは、
・モンテカルロ
・ビアリッツ
・ボルドー
の3都市へゴヤールの支店を展開します。
そして早い展開を行うゴヤールは、一気にロンドンのメイフェアやニューヨークにも販売代理店を出店。
フランスの家族経営だったメゾン・ゴヤールが、瞬く間に世界のゴヤールへと発展していったのです。
しかし、エドモンの展開はこれだけでは終わりませんでした。
ブランドイメージを上げるため、世界の人々に知ってもらうため、販売網の拡大だけではなく、世界万博へも参加します。
この時代、高級とはいってもトランクメーカーが世界万博に参加することなどありませんでしたから、大きな注目を浴びたことでしょう。
その後、エドモンはトランクだけではなく、時代を敏感に感じ「ペット用品」や「カー用品」という新ラインを発表します。
今までは考えられなかった「トランクメーカー」が大きくて広い広告活動に足を踏み入れるきっかけとなったことは言うまでもありません。
そして時を同じくして、エドモンはゴヤールにとって最高の宝物を誕生させます。
それは、現代にも受け継がれているゴヤールのブランドシグネチャーである「Y字の杉彩模様」が施されたキャンパス生地である「ゴヤールディン」と呼ばれる生地。
この生地は現在でも全く古臭さを感じさせません。
そして、流行に流されることもない、確固としたデザインが施された生地であることがおわかりいただけると思います。
ゴヤールの職人魂
時は流れて1998年、ゴヤールの熱狂的マニアでありコレクターであった「ジャン・ミッシェル・シニョル」がゴヤールを買収という形で受け継ぎました。
ゴヤールのファンでありコレクターであるシニョル。
この男はメゾンの歴史や価値をも十分に理解していました。
そこで、シニョルは彼の3人の息子と一緒にメゾン・ゴヤールをさらに発展させていきます。
シニョルと息子3人がそれぞれ伝統と技術を分担。
4名ともが経営にも参加するという方法で、経営と伝統という相容れないものをひとつにすることに成功したのです。
ゴヤールがラグジュアリーへ進化
フランスで創業した家族経営のトランクメーカーだったメゾン・マルタン。
今ではフランスを代表するラグジュアリーブランドへと発展しました。
ゴヤールは他の大手グループとの契約や制約を持たない独自ブランドなため、いつまでも自分たちの職人気質を存分に振るうことができるのです。
そして、本物を作り続け、技術と伝統、技術的な感性をも後世に受け継いでいくことができるブラントなのです。
ゴヤールディンという秘密の生地
ゴヤールと言えば「ゴヤールディン」。
メゾン・マルタンから引き継いだフランソワ・ゴヤール。
そして、フランソワ・ゴヤールから引き継いだ息子のエドモン。
エドモンはゴヤール家が営んでいた「材木運送業」から、ゴヤールディンという魔法の生地を発想したと言われています。
ゴヤールディンの柄は薪を連想させます。
また、水に強い特性は、ゴヤールが水路で薪を運んでいたところからアイデアを得たのではないでしょうか。
ゴヤールディンというキャンパス地は、コットンと麻で織られたもの。
その上に天然塗料を塗ることでレザーと間違えるようなしなやかさと風合い、そしてこの塗料が持つ水に強い性質が特徴です。
丈夫で長持ち、やわらかな肌触りと撥水性。
革新的な技術を取り入れたキャンパス地。
ゴヤールの最大の秘密である製作過程は門外不出ですが、使い込むほど美しくなる魅力とゴヤールの歴史を感じるためにも、ぜひ手にとって確かめてみてほしいキャンパス生地です。
まとめ
フランスの職人がひとつひとつマーカージュという芸術でカスタマイズしてくれるなんて、考えただけでも嬉しくなってしまいませんか?
この芸術はゴヤールの特徴でもあり、今までにゴヤールへ足を踏み入れた著名な芸術家やデザイナーをも納得させたもの。
ココ・シャネルやパブロ・ピカソ。
ジャック・カルティエやウィンザー公爵夫妻。
最近では、ニッキー・ヒルトンやヴィクトリア・ベッカムなど、ファッション感度が高いセレブに人気なことからも伺えます。
まだまだ日本では他の有名ブランドが人気ですが、本当に良いものを手に入れて、街の中を颯爽と自分だけのデザインが入ったアイテムと一緒に歩き回って見せびらかしてくださいね。
そしてゴヤールのアイテムを見て反応した女子は、間違いなくあなたと価値観が合う、あなたにぴったりなパートナーかもしれませんよ。