今やタウンユースの定番ともなっているダウンジャケットやマウンテンパーカー。
実は、アウトドアが原点のファッションアイテムって、よく見るとたくさんあります。
とりわけアウトドアブランドから発売されているアイテムは、カラフルでファッショナブルなのはもちろん、本格的なアウトドアシーンで使われることを想定しているので、機能性も頑丈さもアパレルブランドのアイテムに比べても格段に高いのが人気の秘密ですね。
アウトドアブランドが新素材や新技術で時代を切り開き、ファッションブランドがその素材を使ったデザイン性の高いアイテムでファッションの流行を作っていくのがここ何年かの流れ。
特殊素材で有名なゴアテックスは今や当たり前のように使われていますし、2015年にノースフェイスが発表したクモの糸を使った新素材はこれからのファッションには欠かせない素材となっていくことでしょう。
そんなファッションの次世代を切り開くアイテムを続々投入しているアウトドアブランドご紹介いたします。
ノースフェイスの歴史は自然と人間とが共存できる限界点を塗り替えてきた歴史である
高い機能性とファッション性を兼ね備え、アウトドアシーンに留まらずファッションシーンの勢力図をも塗り替えてしまったと言っても過言ではないノースフェイス。
機能性を極限まで追求し、アウトドアの限界点を超える製品を常に提供し続けています。
ノースフェイスの名前は、実在する壁の名前からとっていて、ヨーロッパアルプスの難攻中の難攻であるアイガーの北壁が由来です。
1968年にサンフランシスコで誕生し、第一号商品となったスリーピングバッグ(寝袋)は、高い製造技術もさることながら高品質のダウンを使用したことで、最低何度の気温でも快適に使用できるかという「最低温度規格表示」を明記したことが反響を呼び、一気にユーザーからの信頼を得ることに成功しました。
当時のアメリカは、ベトナム戦争の真っ只中で、それまで物質中心だった文明や既存の価値観に対抗するカウンターカルチャーが盛り上がりを見せていました。
カウンターカルチャーに感化された若者はヒッピーとよばれ、自然に回帰していく者が多く、常識にとらわれないノースフェイスとヒッピーは共鳴し合うこととなります。
ノースフェイスを身につけ、ある者は自然の中へ、また、ある者は放浪の旅に…。
ノースフェイスの名は一気に世界中の若者に知れ渡ることとなります。
その後、1966年にはダウンパーカーの原型ともいえる「シェラ・パーカ」を発表。
これは、今でも世界中で多くのコピー商品を生み出し、ダウンパーカーの完成形ともいえるノースフェイスの最高傑作のひとつですね。
そして、1975年、20世紀のレオナルド・ダ・ヴィンチとよばれるバックモンスター・フラー博士とノースフェイスが出会い、アウトドアの常識を変える製品が生み出されます。
それが、世界初のドーム型テントである「オーバルインテンション」。
フラー博士は、「生物の卵はすべて球形であり、その理由は、球形が外部からの力に対して最も強い形である」というジオデスティック(測地織)ドーム理論を提唱し、それを具現化したのがノースフェイスの技術力でした。
最小の面積で最大の容量と強度を得ることができるこのドーム型テントは、翌年、アウトドアの景観を一変するある出来事を起こします。
それは、1976年イギリスとカナダの合同隊が遠征したパタゴニアの地で起こり、合同隊は時速200kmともいわれる暴風雪に遭遇。
従来のテントが次々と、この暴風雪にあとかたもなく吹き飛ばされる中、このドーム型テントだけが隊員たちの命を守り抜いたのです。
この一件以降、キャンプ地でのテントがドーム型一色に塗り替えられたのは、ご存知の通り。
さらに同年、史上初のフレームバッグであるバックマジックをリリース。
アルミ合金製のアンダーフレームを持ち、腰の部分には強化樹脂製のフレキシブル・サスペンションを備え、フィールドでの行動の自由度を各段に引き上げたこのバッグはバックパッカーたちから熱烈な歓迎を受けました。
このように数々の伝説ともいえる製品を世に送りだし、アウトドアの限界点を常に超えてきたノースフェイス。
これからもその革新と冒険は人類をよりアウトドアの高みへと誘ってくれることでしょう。
その取り組みが全世界共通の取り組みとなって欲しいパタゴニア
パタゴニアの創設者であるイヴァン・シュイナードはライフワークであったロッククライミングに使うピトンという岩に打ち込むことで手がかりや足場にとするくさびの製造・販売していました。
シュイナードは自分自身がクライミングをするので、クライミングに出かけるたびに既存のギアを改良し、よりシンプルで軽量、耐久性と機能性を高めたクライミングギアを続々と世に送り出すことになります。
また、シュイナードが作るピトンはクライミング人気に火をつけ、その裾野を広げることとなりました。
1970年には、シュイナードが起こしたシュナード・イクイップメントがアメリカでも最大のクライミングギアのサプライヤーとして君臨。
しかし、その反面、最も岩を傷つけ、自然に害を与える企業にもなっていたのです。
人気のクライミングルートには、シュイナードが作ったピトンが岩に無数に突き刺されては抜かれ、深刻なダメージを与えていたのです。
シュイナードが久々にクライミングし、数年前とは変わり果てた自然の岩を見た時、これ以上の破壊をさせてはいけないと、ビジネスの中心であったピトンの製造をやめる決断を下します。
ただ、そんな経営のピンチを救ったのが、ウェアの製造・販売でした。
当時のスポーツウェアといえば、スウェットのシャツとパンツ。
クライミングウェアは、裾を切り落としたチノパンとシャツという組み合わせが一般的でした。
そこで、シュイナードは利益がほとんど出なくなったクライミングギアに代わるビジネスの柱として、ラグビーのような激しいスポーツでも耐えうるアンブロ社のラグビー・シャツをクライミング用のウェアとして輸入販売を始めます。
このウェア部門の名前をそれまでの社名であるシュイナードの名を使用する案もあったのですが、登山用のウェアに限定したくないという理由から新しいブランドをスタートすることにしました。
そうして誕生したのが、パタゴニアです。
その後、パタゴニアは自社での製品開発に取り組み、試行錯誤を重ねた結果、キャプリーンとシンチラという新素材の開発に成功。
さらに、アウトドア製品といえば、茶色や深緑といった地味な色が主流でしたが、パタゴニアのウェアは鮮やかな色彩を使い、頑丈なだけではなく見た目もこれまでのアウトドアウェアから大きく生まれ変わった製品を発表しました。
色彩豊かなパタゴニアのウェアは、アウトドア愛好家だけではなくファッションウェアの一つとして、ユーザーから人気を集め、急成長を遂げることとなります。
ただ、この急成長が仇となり、1991年アメリカ全土を襲った不景気の波に飲み込まれ、社員の20%を解雇する必要に迫られるなど、企業の存続にかかわるダメージを受けることになりました。
ただ、そんな中でも、創業者のシュイナードは「社員にサーフィンをさせよう」をスローガンに自分たちの価値と伝統を守るブランドとして強固なものにしていきます。
それが最も顕著に表れているのが、パタゴニアがまだ小さな会社だったころから大事にしている環境保護への取り組みといえるでしょう。
その取り組みは、環境保護団体への寄付といった単なる支援だけではなく、パタゴニアブランド自らが自然破壊をしない努力を重ねていることからも見て取ることができます。
1980年代半ばにはカタログに使う紙をすべて再生紙に、モルデン・ミルズ社との協力でリサイクルしたペットボトルから作った再生ポリエステルを使ったシンチラ・フリースを開発。
さらには、農薬の散布が多く、その農場周辺の土壌や水質の汚染が深刻なコットンを使うことなくオーガニックコットンに切り替えるという英断を下し、1996年にはすべてのコットン製品をオーガニックコットンに切り替えることに成功しました。
そのパタゴニアが視界にとらえているのが、ウェアそのものをリサイクル可能な製品にすること。
豊かで美しい自然がなければ、アウトドアは楽しむことができません。
そんな自然を大切にするパタゴニア製品を身につけてアウトドアを楽しむことで、より自然との付き合い方が身近に感じられるかもしれません。
マザーと歩んだコロンビアの歴史
コロンビアの歴史は古く1938年、創業者のポール・ラムフロムがドイツからアメリカのオレゴン州に移住したのと同時にコロンビアハットカンパニーという帽子屋を始めたのがブランドのスタートです。
現コロンビア会長のガート・ボイルはまだ10代だったころから、父の家業をサポートし、1960年、さらにビジネスを拡大させるため自社製品の開発に取り掛かります。
その際、スキーグローブの製造会社であったコロンビアマニファクチュアリングカンパニーと合併し、コロンビアスポーツウェアカンパニーと社名を改めることに。
そして、自社製品としてコロンビアの代表的製品となるマルチポケットベストをコロンビアの”マザー”とも称されるガート・ボイルが発明します。
発明といっても、普通の主婦であるガート・ボイルの夫であったニール・ボイルとその友人たちが「こんなベストを作って欲しい」という要望を聞き、手作りで完成させたのがはじまりでしたが…。
マルチポケットベストが完成し、ビジネスの軌道が乗り始めた時、そんな普通の主婦であるガート・ボイルに不幸が訪れることとなります。
父であり、コロンビアの創業者であるポール・ラムフロムが逝去。
さらには、その跡を継いだガートの夫ニール・ボイルも47歳という若さで急逝してしまいます。
ガートの元に残ったのは、3人の子供と多額の借金だけ。
彼女は父と夫が遺したコロンビアを売却する決心をします。
しかし、コロンビアの評価は思いのほか低く、提示された売却額はガートが抱えた借金を返済できるような額ではありませんでした。
そこで、ガートは、まだ大学生であった息子のティム・ボイルとともにコロンビア再建の道を選ぶことにします。
彼女はニールが描いた拡大戦略を実行することに決め、確かな製品作りを着実に積み重ね、ビジネスの基盤を築くことに成功しました。
そして、1982年コロンビアの代表的アイテムであるツー・イン・ワン・ジャケットで実現させたアウタージャケットとインナージャケットをジッパーで着脱し、気候に合わせて3ウェイの着こなしができるインターチェンジシステムを開発。
その後、このシステムを採用したバガブーパーカーが1993年、100万着以上を販売し、アメリカ国内でアウトドアウェアの年間最多販売記録を打ち立てることになり、コロンビアは大きく飛躍、アメリカでも最大規模のアウトドアブランドに成長することになります。
さらには、高い防水性と透湿性を兼ね備えたオムニテックや体温を反射させ保温効果を高めるオムニヒート。
汗に反応して冷却効果を生み出すオムニフリーズゼロといったオリジナルの素材や機能を持った製品を次々と生み出します。
これは、マザーであるガートが夫やその友人たちの声を聞いてマルチポケットフィッシングベストを開発したようにコロンビアのデザイナーが実際にアウトドアのフィールドに出て、人々の声を集めているから生み出すことができたのです。
そんなコロンビアのカタログや広告、製品タグにはいつもある女性が登場します。
そう、その女性こそが、”マザー”ガート・ボイルその人です。
ガート・ボイルはその功績からコロンビアの成長とともにアメリカを代表するビジネスウーマンともなりました。
そんな彼女の言葉にコロンビアの魂がつまっているので、ここでご紹介したいと思います。
「子どもが何人もいる家庭で、高いジャケットやコートを何着も買うことはできないでしょう。
だから、コロンビアは適正な価格で提供することを大きなテーマとしています。
それは、アウトドアの世界をひとりでも多くの人に楽しんでもらいたいから。」
カタログや広告にマザーが登場するのは、自然に出かけるあなたをコロンビア製品とマザーはちゃんと見守っているという品質の証でもあるのです。
自分たちが欲しいもの作って売る、それがモンベル
モンベルは1975年、日本人登山家である辰野勇氏によって設立された日本発のアウトドアブランドです。
日本の多雨湿潤気候に合うスリーピングバッグやレインギアの開発から手がけ、翌年にはアメリカデュポン社のダクロンホロフィルムを採用したスリーピングバッグと高度な防水性を持つハイバロンレインギアを製品化させました。
その後もその性能が実証されたダクロンホロフィルムを使用し、数々のアウトドアウェアを製品化させていきます。
そのモンベルの強みは何といっても、実践で証明してきた機能性の高さです。
そのすべてをここで挙げるのは割愛しますが、エベレスト・アルプスといった世界最高峰の登山をはじめ、南極や北極といった険しい環境での探検隊。
パリ・ダカール・ラリーや中国大陸のバイク横断といった極限のカースポーツといった場面でもモンベル製品が彼らのそばを守り続けてきました。
モンベルの歴史がここ最近のアウトドア用品の進化の歴史といっても言いすぎではないほどに。
そのモンベルの原動力となるのは、やはり創業者の辰野勇氏でしょう。
21歳の時、最年少でスイスのアイガー北壁の登頂に成功。
さらに同年、マッターホルンを登頂し、黒部川をカヤックで源流から河口まで初下降に成功し、アメリカコロラド川・グランドキャニオン、コスタリカ、ネパールといった国々の川をカヤックで渡り、アウトドアのフィールドで活躍するまさに冒険家。
そんな辰野氏自らがユーザーであり、メーカーであるのがモンベルの強みですね。
売れそうなモノを作るのではなく、アウトドア好きの自分たちが欲しいと思ったモノを作って、売る。
軽さと速さを追求し、世界にまだない初めてのモノを生み出していくというモンベルの姿勢は、これからもアウドドア用品の進化の歴史を切り開いていくことでしょう。
まとめ
アウトドアブランドの限界点が上がるほどに私たちが自然と立ち向かえる限界が引き上げられるといってもいいでしょう。
それほど、近年のアウトドアブランドの新技術や新素材の開発には目を見張るものがあります。
アウトドアブランドの代名詞ともいう存在となったノースフェイス。
機能性やファッション性を求めるだけではなく、いかに地球の環境と共存したアイテム作りができるかを考えるパタゴニア。
一人でも多くの人にアウトドアの世界に触れて欲しいという想いがつまったコロンビア。
そして、辰野社長をはじめとするアウトドア好きの自分たちが冒険で欲しいものを作り出すモンベル。
たんなるアパレルメーカーとしてではなく、それぞれアウトドアに対する哲学がこの4つのブランドにはつまっています。
たまには、こうしたアウトドアブランドのアイテムを身につけ、アウトドアに出かけるのもいいかもしれませんね。