このページでは、ファッション界の成功者、ジョルジオ・アルマーニの名言をご紹介します。
成功者には語録や格言、名言がつきものです。
ファッション界の成功者も数多くいますが、1940年代のクリスチャン・ディオール以来のファッションデザイナーとして「タイム誌」の表紙を飾り、数え切れないほどの賞に輝いているジョルジオ・アルマーニほど、多くの名言を残している人もいないでしょう。
ここでは、モード界の帝王と言われるアルマーニの数々の名言を、エピソードを絡めてご紹介します。
“私はニセモノが嫌いだ”
「私はニセモノが嫌いだ。見せかけの真実は見たくない」。
アルマーニの語録の中でもっとお有名なセリフです。
アルマーニは見かけだけが着心地の良さそうに見える服や、奇抜なだけの服を嫌いました。
時代に根ざしたライフスタイルと、本当の心地よさを追求したアルマーニが、見た目やただ高級な生地を使っておざなりな縫製で仕立てられた服を毛嫌いするのは当然と言えるでしょう。
80年代は日本でもDCブランドともてはやされたほどの、ブランド全盛期。
コレクションにはマスコミが殺到し、それを逆手に利用しようとするブランドも急増したと言います。
そんな風潮に、アルマーニの美意識が拒否反応を示し、生まれた言葉でしょう。
繊細な素材を使用し、本物の着やすさとエレガンスを一貫して提供してきたからこそ言える言葉ですね。
“僕は“普通”の服を分相応に着ていただけさ。さりげなく気品を匂わせるように意識はしていたけど”
アルマーニは幼少の頃から美的感覚に優れ、高校に上がっても他の生徒とは違っていたと言います。
どうすれば気品が出るのか、その頃すでにきちんと把握していたのですね。
アルマーニに大きな影響を与えたのは、母親でした。
貧しい戦時中でも、限りある布地を解いてなんとか子どもたちの衣服を作ったと言います。
また、母親はどことなくボーイッシュであったといい、そんなところものちのデザインに影響しているのかもしれません。
“もし医師になっていたら、全身全霊をかけて患者の治療にあたり、人の命を救っただろうね”
アルマーニは第二次世界大戦直前に生まれ、戦時下で子ども時代を過ごしました。
ファッションというきらびやかな世界とは程遠い時代で、青年アルマーニに選択可能だった将来は、医師か弁護士。
アルマーニは医師を目指して大学へ進学しますが、将来を見極めきれず兵役につき、そのまま中退します。
そして兵役中の休暇のたびに、帰ってきては職探しをし、幼馴染のアドバイスで百貨店の紳士服売り場に勤めることになったのです。
これが、アルマーニの人生を変える出発点でした。
その後は着実に才能を開花させ、現在の地位にまで上り詰めたのですが、もし学生の時、なんの迷いもなく医師になっていたとしたら、その性格からきっと優秀な医師になっていたに違いないでしょう。
アルマーニはとことん突き詰めることで有名な、完璧主義者だからです。
また、彼は才能だけで現在の地位を築いた訳ではありませんでした。
「現時点で仕事より大切なものはない」。
日常=仕事と自らが認めるほど、努力に努力を重ねて現在のアルマーニファッションがあります。
とどのつまるところ、一流になる人は何をしても一流になるということでしょう。
“自分の服を着ることによって、女性が男性のセクハラの対象となるのを、多少なりとも防げることを期待する”
男女の性差を超えたユニセックスという新しいアイデアを生み出したアルマーニ。
1970年代後半は、アメリカで女性の職場進出が進み、女性のファッションにも機能性を備えた新しいスタイルが求められるようになりました。
アルマーニは女性の衣服からフリルを取り除き、当時としては画期的な「女性のスーツ」を発表、多くの女性たちに受け入れられたのです。
アルマーニはユニセックスだけでなく、ソフトジャケット、グレージュなど、次々と新しいスタイルを提案し、モード界に一大旋風を巻き起こしました。
「鮮やかさは人を惹きつけ、色はアイデンティティを明確にする」。
人を惹きつけるといううわべよりも、自分の内面を大切にし、それを表現するデザインに力を注いだアルマーニ。
服はライフスタイルであり、ライフスタイルは生き方そのものという哲学を貫いています。
“奇抜なディテールで人を驚かせようとする意図がはっきり感じられるのは、無意味だと思うんだ。”
「奇抜なディテールで人を驚かせようとする意図がはっきり感じられるのは、無意味だと思うんだ。まあ、意味がないし、不安にもさせられる」。
普通に考えたらおっしゃる通りですね。
新しい物好きの人は新しいものが出るとすぐに飛びつくけれど、そのぶん飽きるのも早い。
人を惹きつけるだけの目的は、普遍的な着心地の良さやシンプルな生き方を提唱することとは真逆のものです。
どんな時代でも自らの姿勢を崩さず、着心地の良い服作りをする・・・もしかしたら、アルマーニは「永遠の服」を目指しているのかもしれない、そんな風にも感じられますね。
“一つでもミスを犯そうものなら、ジョルジオに殺される”
これは名言というよりは、彼についてささやかれていた言葉です。
殺されるとはなんとも物騒な物言いですが、この一言がアルマーニという人物を端的に言い表しているとも言えます。
アルマーニは絶対に人を褒めない完璧主義者として知られており、人に厳しい分、さらに自分には最高に厳しい人なのです。
アルマーニの仕事は常に完璧で、細部まで「アルマーニスタイル」が行き届いたもの。
それゆえに、妥協は許されるはずもなく、他人にだけでなく自分にも厳しいので一緒に働くスタッフは彼を尊敬しているとのこと。
もし仕事で彼を微笑ませることができたら、納得させることができたら・・・。
そればかりを考えて仕事をしているそう。
また、アルマーニの完璧さは身内だけでなく、外へも向けられました。
特に80年代のブランド最盛期、彼はファッションショーをミラノの見本市の会場ではなく、自社スペースで開催しています。
これには多数のジャーナリストから批判が寄せられたそうですが、ファッションショー自体が歪んだものになり、まるで見世物小屋になっていると考えたアルマーニが、世の中やファッション業界に鳴らした警笛だったのです。
さらにはマスコミやメディアをファッションショーから締め出すということまで行ったとか。
この時のなんでもありのケバケバしい風潮のファッション業界が嫌いだと堂々と言い切りました。
“どんなに美しくても、本物の毛皮は過剰なものだよ”
2016年3月、アルマーニは毛皮素材を2016年秋冬コレクションから全てのラインにおいて、全面廃止することを発表しました。
天然素材を用いたブランドに抗議するため、パリコレクションやロンドンコレクションが行われる建物の入り口で、デモ集会や抗議活動が開くなどしてきた動物愛護団体のPETAやHSUS。
ニュースでもその映像が流れたので、記憶に残っている人も多いでしょう。
世界的な動物愛護や動物保護の観点から、天然の毛皮素材を未使用とすることを、ファッション業界ではファーフリー(Fur Free)と呼び、高級ブランドの中でも広がりを見せていました。
さらに、近年ではリアルファーに代わるフェイクファーの技術が進んできたこともあり、アルマーニでもPETAやHSUSと協議を重ね、段階的に使用を減らしてきたと言います。
これにいち早く手を打ったのがエンポリオ・アルマーニで、すでにリアルファーは使用していませんでした。
1970年代にはセレブ達がステイタスシンボルとしてこぞって身につけ誇示していた毛皮ですが、80年代に入ると動物愛護団体や環境団体から激しい抗議を受けることとなりました。
この流れを受けて、ファッション業界では90年代に入るとフェイクファーを使うブランドが急増します。
「必要なものと過剰なものとを見分けるべきだと思うんだ。どんなに美しくても、本物の毛皮は過剰なものだよ」。
美しければなんでもいい・・・そんな人間の身勝手さを嫌い、アルマーニは動物愛護や保護のため、真剣に取り組んできました。
「肉を食べるのは、共食いのような気がしてならないんだよ」。
毛皮を廃止すると同時に肉を食すこともやめたアルマーニですが、ファッション界の大物の決断は、業界にも大きな影響を与えました。
現在ではベジタリアンで知られるヒューゴ・ボス、ステラ・マッカートニー、トミー・フィールガーなども完全なフェイクファーのみを使用しています。
“驚きなんてものは長続きせずに消えていき、あとには灰しか残らないからね”
頂点を極めたアルマーニは、やがて流行のさらに上を行くことになります。
現れては消えていく、泡のような流行を一段高いところで観察しながら、その時代のライフスタイルに沿った一番着心地の良い服を独自の目線で作り出し、その結果、普遍的でエレガント、しかもどの時代に着ても古臭くないオリジナルな服を作り出しています。
それはやはり、美的センスや時代を掴む嗅覚に優れたアルマーニだからこそなせる技でしょう。
その時だけの奇抜さで人を驚かせるのではなく、やっぱり自分にはこれが一番しっくりくる、と人が帰ってくるような服作りに到達したのです。
そのこだわりは、品質の良さ、人間の体の動きに合わせたハンドメイドでしか作り出せないカッティングにも表れています。
「時代を左右するほどの作品の前では批判など無力だからね」。
つまり、批判されてすぐにしぼんでしまうようなものは本物ではない、と言える自信が彼の中にはあるということです。
そしてその自信は、服作りに費やした多大な労力と時間、努力によって培われたものだと言います。
「僕の中には二人の自分が存在している。クリエイターとしての僕と、営業的見地から自分のコレクションを判断するもう一人の僕。結局、いつも自分で自分を裏切る羽目になる」。
良いものを究極まで追求すると、そうやすやすとは売れないような高価な服ができてしまうということでしょう。
そしてそれが、スーツが50万円以上もしてしまう、「ジョルジオ・アルマーニ」なんですね。
“私が70歳のおじいちゃんに見えますか?”
「私が70歳のおじいちゃんに見えますか?」
ブランド設立30周年の折、ブランドの後継者を決めていなかったアルマーニに対し、2005年に来日した際、記者に質問された時の言葉です。
この時御年71歳。
まだまだこれからだよ、と言わんばかりのこのセリフ、精力的に活動し続けてきて、これからも現役だと印象付けます。
しかしその後もアルマーニはブランド運営から離れるのではないかと噂されていました。
2007年に銀座に出店した時のNEWS ZEROのインタビューでは、個人ではなく“経営陣”になるだろうとコメントしています。
「70歳のおじいちゃん」発言から10年後の81歳の時、2016年春夏コレクションのショーが行われた際、アルマーニは再び経営のことを口にし、「命を失うその日まで、自分が舵をとる」とコメントし、引退の噂を一掃。
「自分が生きている限り、独立しているよ。さらに計算され、管理ができるような独自の立ち位置を間も無く準備する予定だよ」。
そして、設立40年を迎えてなお、自分の死後のブランドをどうするかはまだ決めていないと話しました。
「型にはまらない、非常にエレガントなコレクションをデザインするのと同様、オフィスの中のような場所で自分の好きな光を選ぶことができる、これが独立だよ。でもその独立を維持する手段が必要なんだ」。
ここで言う手段が経営陣のことなのかどうかは不明です。
“冷たさを感じさせない、無垢でシンプルな、創造の礎となるものを身の回りに置いておきたい”
アルマーニの服の、無駄がなくシンプルなシルエット、優雅な曲線は唯一無二といっても過言ではありません。
そんな彼のデザインが生み出されるのは、無垢でシンプルで、そして少し温かみを感じさせるものに囲まれているからなのかもしれません。
アルマーニの部屋を試しに創造するなら、ゴテゴテの装飾がついたカーテンより、ナチュラルで繊細なシルクの上等なカーテンを思い浮かべます。
そんなお気に入りの道具や家具の中で、自然光の入る窓辺で何かにインスピレーションを受けるアルマーニが想像できますね。
“アルマーニは常にアルマーニなのだ”
ファッション界の寵児として突如登場し、数々の伝説を作ってきたアルマーニ。
彼はもはや一介の服のブランドオーナーではなく、生き方そのもの、哲学そのものと言っても過言ではない、そんな存在です。
アルマーニは常にアルマーニ・・・その言葉の中には「普遍」や「絶対的なオリジナル」、「唯一無二のエレガント」などが含まれています。
他の何にも例えられない、他の何にも代わることのできないもの。
アルマーニというブランドは、ジョルジオ・アルマーニという人生と、それを形で表した結晶ともいうべきものなのでしょう。
ジョルジオ・アルマーニ|まとめ
アルマーニの名言をまとめてご覧頂きました。
名言の裏側には時代背景があり、生い立ちがあり、彼の哲学があります。
1: “私はニセモノが嫌いだ”
2: “僕は“普通”の服を分相応に着ていただけさ。さりげなく気品を匂わせるように意識はしていたけど”
3: “もし医師になっていたら、全身全霊をかけて患者の治療にあたり、人の命を救っただろうね”
4: “自分の服を着ることによって、女性が男性のセクハラの対象となるのを、多少なりとも防げることを期待する”
5: “奇抜なディテールで人を驚かせようとする意図がはっきり感じられるのは、無意味だと思うんだ。”
6: “一つでもミスを犯そうものなら、ジョルジオに殺される”
7: “どんなに美しくても、本物の毛皮は過剰なものだよ”
8: “驚きなんてものは長続きせずに消えていき、あとには灰しか残らないからね”
9: “私が70歳のおじいちゃんに見えますか?”
10: “冷たさを感じさせない、無垢でシンプルな、創造の礎となるものを身の回りに置いておきたい”
11: “アルマーニは常にアルマーニなのだ”
いつまでもファッション界のトップとして燦然と輝き続けるアルマーニ。
生きながらにして伝説となった人物です。