フルオーダーでスーツを仕立てようと考えた時、イギリスのサヴィル・ロウではなく、イタリアのサルトで仕立てようと思った場合、おそらく多くのビジネスパーソンが思うのは、ナポリとミラノ、どちらのスタイルにしようか、というものだと思います。
イタリアなら他にもフィレンツェなどもあると聞きます。ローマのスタイルなども。
フルオーダーを仕立てるのだから、最初はいいものにしたい、熟考したいとは誰もが思うことでしょうし、身なりは投資であると考えているのであれば、当然です。
人の印象は身なりで決まるとはよく聞きますし、だとするとその身なりの専属コンシェルジュともいえるサルトの選択は、ビジネスはもちろん、人生の成否も決めますから。
そこでこの記事では、ナポリのサルトとミラノのサルトの違いについて、紹介したいと思います。すべて私自身の体験談になりますから、いわゆるナポリスタイルやミラノスタイルとは異なる点もあること、ご了承くださると、幸いです。
サルトにより、違いはある?
ナポリのサルトとミラノのサルト。共に知り合ったキッカケは知人の紹介でした。違いはというと、ナポリにサルトを構えているか、ミラノにサルトを構えているかの違い、そして採寸から裁断、仕立てなど一連の工程をひとりでやるかどうか、またイタリア人か日本人か、がパッと思いつく違いです。
ほか、受注会のスタイルになるのですが、ナポリの受注会ではシューズもオーダーすることができます。イタリアの公的機関にブーツを仕立てることからはじまったシューズ職人のつくる革靴は、博物館に展示されてもおかしくないレベルなのだとか。
最初に受注会に参加したのはナポリのサルトの受注会でした。そこでまずはナポリのフルオーダーから、体験したことを思い出してみたいと思います。
ナポリのフルオーダー
聞くと、受注会には採寸と提案を行うフィッターが参加し、採寸したジャケットやパンツ、シャツの祭壇や仕立ては、それぞれ別の職人が行うのだとか。
「一人で全てを担当したほうが、いいものができそうな気もするのですが・・・」
と聞いたところ、それは難しいと。なぜなら、例えばジャケットを担当するならばジャケットの裁断技術などを極めるのに、30年・・・60年だったかな、その程度の時間を要するからだそうです。
30年と60年では大きく異なりますが(うろ覚え、恐縮です)、全てハンドメイドで採寸の数字を見て頭のなかで立体的に美しいカーブを描く、そしてそれを生地に再現していくという職人技術で仕立てられたジャケットをまとってみると、たしかにその程度の時間は必要なんだろうな、と感じます。
日本においてはここ10年の間に、若い会社員の方でも手軽で安価にオーダーが楽しめる、パターンオーダーやイージーオーダーのお店が増えましたが、どこもハンドメイドではなくマシンメイドだと聞いています。
そして、採寸した数字をそのままマシンメイドに反映するだけですから、どうしても手足を曲げたり歩いたりすると、突っ張る箇所が出てきます。
採寸しない箇所・・・例えば肩まわりの筋肉の盛り上がりとか胸のあたりもそうですね、数字では表せない箇所は採寸をすることはないですが、そういった箇所は動いていないのに突っ張ってしまったり、不自然なシワができてしまったり、スーツに着られている感が出てしまったりするものです。
試着したあと、細かな箇所は詰めることもできますが、フルオーダーを体験すると、職人の経験というのはスゴイものだなとも気づくわけです。なぜなら、鏡を前に仮縫いの生地をまとうと、自分の身体が美しいカーブを描いていることに気づくのですから。
パターンオーダーなどなら、生地次第で無理めに来たほうがスマートでクールな、ジャケットとパンツスタイル、通称ジャケパンスタイルですね、こちらのほうがオススメであることは、頷くところです。
こう考えてみると、一つ一つのパーツを別の熟練職人が仕上げるというのは、理にかなっているような気もしてくるから不思議なものです。
ナポリのサルトでは、スーツのジャケットとパンツは別の職人が担当し、シャツもまた別の職人が担当します。コートはジャケットと同じ職人、ベストもそうだったかな・・・。他、ネクタイも別の職人が担当しますから、セットアップのスーツとコート、シャツとネクタイを仕立てる場合、4人の職人と1人のフィッター、5人体制での仕立てになります。
王様の仕立て屋という表現がありますが、まさにフルオーダーとはこういう表現がフィットするように思います。
ミラノのフルオーダー
一方、ミラノのサルトの場合は一人で行っています。ただし、シャツは扱わず、ネクタイは別の職人に依頼。フィッターでもある彼が担当するのは、セットアップのスーツとコート、またカジュアルにも羽織ることのできるジャケットのみです。
先日のトランクショーで、このスーツに合うネクタイもお願いしたいのですが、と聞いたところ、提携という言葉がふさわしいかどうかはわからないのですが、自身も愛用しているネクタイの職人にオーダーしますとのこと。
そろそろ仮縫いが仕上がる予定なので、まだ手元には彼に注文したジャケットはないのですが、生地選びから日本人の繊細さが感じられるものでした。
「どういうものを望みますか?」
と聞いてこられたので、飛行機のなかでも着続けられるような丈夫さと暑いなかでも着続けられる涼やかさ、一生をともに過ごすような生地を求めています、と伝えたところ、
無理難題だったようでしばらく無言で思案したあと、
「丈夫さを求めるならばツイードがオススメです。冬物ですが、生地は着込むほどに身体に馴染んできますので、一緒に歳を取る楽しみにがあります。
私が今着ているジャケットもツイードですが、ミラノ東京間の飛行機のなかでも基本脱がずに着続けており、身体に馴染んでいいシワができてくるんです」
「しかし、暑いなかでも着続けられるとなると、ツイードはオススメできません。モヘアの生地などいいのでは、と思います。できれば1年に2着を着回す形がいいかと思うのですが・・・」
彼の誠実な姿勢、私の体格や雰囲気に合わせて細かなチェックなどの模様が入ったものより、無地や無地に近い模様のほうが似合いますよ、ということで選んでくれたツイードの生地を気に入り、このジャケットにも似合うし、緑と茶色を基調にしたヴィンテージ生地のスーツにも似合うということで、グレーのネクタイもオーダー(ウールのネクタイだったと思います)。
注文後に手付金として50%の請求書がメールで届いたのですが、そこに書いてあった文章も日本人の繊細さがあふれるものになっており、生地の産地がどこでどういう経路で私の手に届くのか、そんなストーリーを添えてくれていました。
ナポリのサルトとミラノのサルトを紹介してくれた知人が、ナポリのサルトは細かくはないですよ、と言っていましたが、ミラノのサルトを体験することで、それがよくわかりました。厳密にはナポリとミラノの違いというよりも、イタリア人と日本人の違いかもしれませんが。
しかし、仕立てるスーツには違いは確かにあるようで、どちらかというとナポリのサルトが仕立てるスーツやジャケットは「美しく、やわらかなライン」という雰囲気があり、ミラノのサルトが仕立てるそれは「質実剛健」という雰囲気を感じます。
おそらくナポリとミラノで修行している以上、師匠の教えが色濃く出るのでしょうが、ナポリスタイルやミラノスタイルという言葉以上に、サルトの人生経験が反映されるものが、フルオーダーなのだと思います。
サルトの数だけ、主張もスタイルもある。
ひとつのサルトと付き合い続けることもいいですが、できるだけたくさんのサルトと付き合うこともまた、私たちにとっていい経験を与えてくれそうです。
まとめ
インターネットで、ナポリスタイル、ナポリ仕立てと入力すれば画像が出てくるほど、「ナポリ」や「ミラノ」という名称からは、ある種の型が出来上がっているように思います。
しかし、ナポリのサルトは型紙をおこして生地を裁断しないなど、工程上の特長は存在しこそすれ、サルトの拠点を聞くだけで「~スタイル」や「~仕立て」と呼ぶことには、やや違和感を感じなくもありません。
もちろんナポリの男ならば「オレはナポリ人だ」というほど、ナポリへの愛着があるのでナポリ仕立てという括りはうれしいものなのかもしれませんが、
私が体験してきたことから考えると、ナポリもミラノも、おそらくは他の伝統的なサルトも、顧客との対話からその顧客の望む世界を実現するために服を仕立てる、という姿勢で仕事をしているのだと思います。
だからこそフルオーダーを仕立てるときは、サルトの人間性、人間的に合うかどうか、を楽しむ余裕を持ちたいと感じます。
ナポリとミラノとでは、確かにラインやラペルなど、異なる箇所もあるでしょうから、それは事前に予習して、どちらのスタイルを選ぶのかを決めてから、サルトを紹介してもらうといいかもしれません。
ちなみにナポリのサルトにとって型紙とは、パターンオーダーなど量産する場合に使用するもの、という認識があるようです。
この記事において、「ス・ミズーラ」という表現を用いないのは、人によってはス・ミズーラをパターンオーダーというように定義することもあれば、別の人によってはフルオーダーを意味することもあるからなのですが、
認識の違いを極力なくすために、ス・ミズーラと言う表現を使わず(本当は使いたいのですが・・・)、誰もが同じようなイメージを想定しやすいフルオーダーという表現を用いています。
フルオーダーが唯一無二の体験、また一生の付き合いになることを、願っています。
ぜひ「禁断の世界」に足を踏み入れてみてください。