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独立時計師という世界をあなたはご存知ですか?

野球選手の世界最高峰が集まる舞台であるメジャーリーガーは地球上で750人。

しかし、さらに狭き門をくぐり抜けた世界でたった34人しか存在しない独立時計師という職業をご存知でしょうか?

機械式時計のすべてを一から一人だけの手で作り上げてしまい、毎年スイスで行われる世界最大の時計見本市「バーゼルワールド」では彼ら専用の特別コーナーが設けられ、制作した腕時計は億単位という金額で買われていく。

それだけの高額にも関わらず、彼らが作る時計を手に入れるために何年も待っているという顧客もいるほど。

一般的に、時計師になるためには、時計作りの専門学校で学び、時計メーカーに就職し、時計メーカーの時計を作るというケースがほとんどです。

しかし、メーカーに所属すると、マーケティングが優先され、自分が作りたい時計ではなく、会社が売りたい時計を作ることを求められます

また、コストを最小限に抑えるため、生産効率がなによりも優先される環境といえるでしょう。

そんな環境の中では、一人の時計師が持つアイデアや高い技術力が100%反映されるかといえば、そうではなく、時計師にはある種の「妥協」が強いられます。

そんな状況で、時計師が本当に作りたいと思える時計が作れるかといえば、難しいでしょう。

「メーカーの意思にしばられることなく、真に自分自身が納得できる時計を作りたい。」

こういった考えを持って、企業に依存せず、自らのアイデアとスキルだけで時計を作るのが独立時計師という道なのです。

独立時計師が作る時計は、その一本一本が手作りで、時計を構成する部品から作ったり、その部品を作る機械までも1から作成したりする時計師も存在するほど。

そんな独立時計師が作る時計は世界に一本しかない完全オリジナルで、時計作りの工程のすべてを一人で行うため、一本の腕時計を作るのに一年かかるなんていうことはザラな話です。

そんな彼が作る腕時計には、家が1軒買えるような金額がつけられたりもしますが、それでも彼らのもとには、その時計を求める顧客の列が後を絶ちません。

そんな機械式時計の世界最高峰に位置する独立時計師。

彼らのディープな世界をお届けいたします。

世界の精鋭34人が集まる独立時計師アカデミー

引用:http://www.ahci.ch/
引用:http://www.ahci.ch/
世界の名だたる時計ブランドやメーカーと並んで、世界の時計業界から注目を集める時計作りの集団が存在します。

それが、時計王国スイスに本部を置くAHCI(Académie Horlogère des Créateurs Indépendants)。

日本語では独立時計師アカデミーといわれ、独創的な時計を次々と生み出し天才時計師ブレゲの再来とも呼ばれるフランク・ミューラーも自身のブランドを立ち上げる以前にこのアカデミーに所属していたことでも有名です。

独立時計師アカデミーは1985年、ヴィンセント・カラブレーゼ氏とスヴェン・アンデルセン氏らが中心となって設立されました。

今では、アンソワーヌ・プレジウソ、フィリップ・デュフォー、ベルンハルト・レデラー、トーマス・バウムガードナーといったメンバーが名を連ね、全員で34名(2016年10月現在)からなる独立時計師だけの組織です。

アジアからは、アジア人で複雑機構であるトゥールビヨン機構を搭載した時計をはじめて作った矯大羽氏、近年では、菊野昌弘氏と浅岡肇氏という2人の日本人が名を連ねています。

独立時計師アカデミーが設立される少し前、1980年代前半、機械式時計作りを中心としていたスイスの時計業界は、壊滅的な状態にありました。

その大きな原因は、1969年セイコーが発売したクオーツ時計によるクオーツ・ショックですね。

発売当初は大衆車であるカローラよりも高額だったクオーツ時計は大量生産により、安く生産できるようになり、機械式時計よりも精度が高く安価なクオーツ時計は、瞬く間に世界の時計市場を席捲しました。

それに追い打ちをかけるかのように、オイルショックによる生産コストのアップ、スイスフランの高騰、人件費の高騰といった悪条件が重なり、スイスの時計産業は大打撃を受け、倒産・廃業に追い込まれる時計メーカーが続出します。

その後、様々な時計ブランドと時計職人の努力もあり、機械式時計の人気は復活しましたが、この時、独創的で高い技術と才能を持つ時計師たちが協力体制を築くために設立したのが独立時計師アカデミーです。

独立時計師に所属するメンバーは、一から時計を作るのはもちろん、大手時計ブランドから依頼を受けて時計を制作したり、特別仕様品でコラボレーションしたりといった活動も展開しており、さらには未来の時計職人のためにサポートなども行っています。

ただ、独立時計師アカデミーメンバーへの条件は厳しく、正式メンバーとなるには、まず、アカデミーメンバーのうち2人から推薦を受けなければいけません。

その後、バーゼルワールドのような世界的な時計見本市で開かれる独立時計師アカデミーのブースで自作の時計を発表。

そこで、問題がなければ、アカデミーの準会員として登録されます。

準会員になった翌年より2年続けて新作の時計を発表した後、独立時計師アカデミーの総会で、出席者全員の賛成を得られると、晴れて正会員として認められるという流れです。

2人の日本人独立時計師

そんな狭き門である独立時計師アカデミーの正会員には、菊野昌宏氏と浅岡肇氏という2人の日本人独立時計師が所属しています。

彼らは、34名いる独立時計師の中でも、0ベースから時計のすべてを作り上げる希少な独立時計師。

そんな2人の日本人独立時計師について、ご紹介いたします。

日本人ではじめてのアカデミー会員、菊野昌宏

引用:http://www.masahirokikuno.jp/
引用:http://www.masahirokikuno.jp/
日本人初の独立時計師アカデミー正会員となった菊野昌宏氏は1983年生まれ。

30歳という若さで独立時計師アカデミーの会員という称号を得た菊野氏ですが、高校卒業後、いきなり時計の世界に入ったわけではありません。

高校卒業後は、地元北海道で自衛隊に入隊し、そこで4年間を過ごしました。

しかし、その自衛隊での勤務中、菊野氏は運命の出会いを果たすことになります。

菊野氏が働いていた自衛隊の上官が大の時計好きで、その上官がつけていた時計が約30万円のオメガの機械式時計でした。

当時、菊野氏がつけていた時計は、わずか1,000円程度のデジタルウォッチ。

この時、菊野氏の中に同じ時計でも、なぜこれほどの金額に差が出るのか?という疑問がわき、そこから機械式時計に興味を持ち始めることになります。

そこで時計の雑誌を購入し、そこにはゼンマイの力だけで動く機械式時計という存在。

また、機械式時計が何百万円、何千万円といった高額にも関わらず、それを求めてやまない愛好者がいるという世界を知ることになります。

そんな機械式時計の世界に強烈に惹かれた菊野氏は4年間働いた自衛隊を辞め、時計職人を志すことに。

基礎から時計作りについて学ぶため、東京の時計専門学校に進学するのですが、ここで菊野氏が思い描いていた時計職人とは違う現実を知ることになります。

個人で時計を1から作り、生計を立てる独立時計師に憧れて時計作りの道を選択した菊野氏ですが、日本には個人で機械式腕時計を作っている人がほとんどいないという事実です。

というのも、スイスでは時計作りの分業が進んでいて、針や文字盤といった部品ごとに専業の会社が存在します。

しかし、日本では時計作りの工程をメーカーである自社ですべて完結してしまうため、個人が時計を1から作るという発想がありません。

そのため、学校のカリキュラムも機械式時計の制作ではなく、修理に必要な知識と技術を教えるといった内容ばかりです。

しかも、時計作りに必要な機械は数千万円するものもあり、まず、時計作りに必要な機械さえ手に入れることが出来ないと、独立時計師という道をあきらめてしまいます。

ただ、そんな時、偶然、目に入ったのが万年時計を扱ったドキュメンタリー番組。

万年時計とは、東芝の創業者である江戸時代の発明家田中久重によって作られた機械式の置き時計で、一度ゼンマイを巻けば一年動くという機械式時計としては驚くべき持続時間を実現した時計のことです。

そんな万年時計を150年も前に生きた昔の人間が、今のような道具を一切使わず、ヤスリを使って一つ一つの歯車を削って作っていた様子を知り、自分も限られた工具の中でどこまで時計作りが出来るかチャレンジしようと決意を新たにします。

それから専門学校に研修生として残り、世界で作れることが出来る時計職人は数えるほどしかいない「永久カレンダー」と「トゥールビヨン」を搭載したコンプリケーションウォッチ作りに成功します。

その後、独立時計師アカデミーへの扉を開いた『不定時法腕時計(和時計)』を制作します。

この時計が、世界的にも有名な独立時計師であるフィリップ・デュフォーの目に留まり、独立時計師アカデミー会員への推薦へと繋がります。

不定時法腕時計とは、時計の盤面に12の干支が書かれた駒があり、季節の変化によって、自動的にその駒が移動します。

不定時法とは、江戸時代に使われていた時刻制度のことで、日の出から30分前の昼、日没から30分後の夜をそれぞれ6等分し、それを一刻とよびます。

ただし、日の出と日の入りの時刻は季節によって変化するため、一刻の長さは日々、変化することになります。

この不定時法で時刻を知るために、江戸時代で使われていた和時計では、季節ごとに干支が書かれた間隔が異なる文字盤に交換したり、移動式の駒を手動で調整したりという方法を行っていました。

菊野氏は、そうした和時計の機構を小型化し、世界で初めて機械式腕時計の盤面に搭載することに成功したのです。

この不定時法腕時計の制作後は、菊野氏が「私の人生の一部に等しい」というトゥールビヨン2012を完成。

海外の時計師から日本庭園の枯山水のようだと称され、和の世界を腕時計の盤面で表現したデザインが特徴的な時計です。

そして、2013年には、時刻を音で知らせるリピーター機構と同時に折り鶴が動くオートマタ機構とが搭載された『ORIZURU』という日本文化を感じさせる時計を制作します。

この2つの時計が独立時計師アカデミーで評価され、全会一致で日本人としては初めて正会員に認められました。

そんな菊野氏が目指すのは、すべてを手作業で行う時計作り。

コンピューター制御に頼る機械を使うのではなく、手でハンドルを回して部品を削るような機械だけを使って腕時計を作っています。

さらに部品のひとつひとつも外注に頼らず、100%自分の手で作った部品のみを使って腕時計を作るのが、目標だと菊野氏は話します。

こうして腕時計の作り方でが、おのずとその制作時間は膨大なものになり、作ることができる個数も限られてしまいます。

ただそれでも、菊野氏は手作業にこだわり、あくまで自分がワクワクできる腕時計作りにこだわる。

そんなひたむきに自分の理想に向かう菊野氏は、これからも私たちをアッと驚かせるような時計を作り続けていくことでしょう。

現在、菊野氏の時計は受注生産となっているため、興味がある方はコチラ(外部リンク先URL:http://www.masahirokikuno.jp/)のHPのコンタクトより依頼可能となっていますので、ぜひ。

微細加工とデザイン力が武器の浅岡肇

引用:http://www.ahci.ch/members/hajime-asaoka/
引用:http://www.ahci.ch/members/hajime-asaoka/
実は、浅岡氏も菊野氏と同じくもともと時計制作の専門的な知識や技術があったわけではありません。

1965年に神奈川県で生まれた菊野氏は、東京藝術大学でプロダクトデザインを学んだあと、デザイン事務所を設立します。

当時としては珍しいグラフィックデザインのスキルを活かし、広告や雑誌のデザインを手がけるかたわらにプロダクトデザインを行っている程度でした。

ただ、本来、浅岡氏がやりたかったのは美しい製品を作り出すプロダクトデザイン。

自分がやりたくない広告のデザインから足を洗うことを決意します。

プロダクトデザインの中でも浅岡氏がやりたかったのは、車・カメラ・機械式時計のデザイン。

車はメーカーに入社しなければデザインすることは無理ですし、カメラは精密機械というより電機屋の対象になってきたので、興味が薄れていたため、残った機械式時計をデザインし、自身の手で作っていこうと考えます。

しかし、ここで浅岡氏が普通でないのは、時計作りの技術を学んだのではなく、微細加工の勉強を3年かけて学ぶことになります。

それは浅岡氏の中に、「時計作りは、微細加工を征服することだ」という哲学があったからです。

そして、微細加工を学ぶ中で、浅岡氏はなんと自作の工作機械まで作ってしまうほどでした。

浅岡氏の時計作りは、そうした哲学のもと、その驚異的な加工精度に支えられているのが特徴です。

ひとつの穴を開けるために機械のセッティングだけで2時間をかけるなど「たかが穴開け」では終わらせないこだわりが詰まっています。

そんな浅岡氏がはじめての時計作りに選んだのは、複雑機構の中でも最も作るのが難しいといわれるトゥールビヨン。

機械式時計は、その原動力となるゼンマイを巻くと時計内部にある振り子が動き出し、その振り子の揺れによって時を刻んでいきます。

ただ、振り子はその向きや重力によって、時間が経つごとに精度にズレが生じてしまいます。

そこで振り子を狂わせないようにするために考え出されたのがトゥールビヨン。

時計内部にある振り子自体を一定速度で回せば、どんなに向きが変わったり、重力が一定方向にかかったりしても、平均化されるので、時間のズレが生じません。

ただし、時計自体を常に回しておくわけにはいかないので、振り子が入っている部分だけを1分間に1回転させるのがトゥールビヨンという仕組み。

ただこのトゥールビヨンを作るだけでも100個以上の部品を必要とし、それを組み立て上げるのは熟練の時計職人でも数えるほどです。

そんなトゥールビヨンを初めての時計作り、しかも、時計作りを専門に学んだわけでもない人間が作り、さらにはその完成度の高さが世界中の時計関係者の度肝を抜くこととなります。

また、デザイナーとしての視点から作る浅岡氏の時計は調和と合理が取れた洗練されたデザインで、これまでの時計職人が作る時計とは一線を介するものでした。

そんな彼を独立時計師であるフィリップ・デュフォー氏が推薦し、独立時計師アカデミーの正会員になることを果たしました。

その後、TASAKIと協業し、「オデッサトゥールビヨン」を発表。

2012年からは、精密加工メーカーである由紀精密、総合工具メーカーのOSGと共同で、世界最高級品を日本から生み出すことをコンセプトにした「PROJECT toulbillon」をスタートさせています。

そんな浅岡氏のトゥールビヨンは、銀座和光でのみ取り扱いがありますので、興味のある方は、ぜひ、コチラ(外部リンクURL:https://www.wako.co.jp/items/watches/cat04/)のサイトでチェックしてみてください。

まとめ

引用:http://www.ahci.ch/
引用:http://www.ahci.ch/
どこの時計メーカーにも属さず、時計を自らの手で一から組み立ててしまうことができる独立時計師。

その中でも、厳しい審査を経て、世界でも34人しかいない独立時計師アカデミーに所属する独立時計師は、時計作りの世界最高峰といえる人物ばかりです。

クオーツ時計が誕生し、絶滅するかに思えた機械式時計。

その窮地を救ったのも、独立時計師が素晴らしい時計を作り、私たちに機械式時計の魅力を再発見する機会を与えてくれたからこそ。

そんな世界最高峰の独立時計師アカデミーに所属する2人の日本人である菊野昌宏氏と浅岡肇氏。

それぞれこれまでの経歴や時計作りのコンセプトは違いますが、共通していえることは「自分が納得した最高の時計を作りたい」ということでしょう。

その理想のため、2人は作る時計作りのデザインから自で考え、時計を構成する部品作りすら自分で行い、自分の理想とする時計を追い求めていきます。

そうして作られて腕時計は世の中でたったひとつだけしかない完全オリジナル。

また、一人だけで時計作りの工程をすべて行うため、限られた本数の腕時計しか作り上げることができません。

そんな彼らが作る腕時計は、もはやアートの域。

そう考えると、彼らが作り出す腕時計がたった何百万円という金額で買えるのは、お買い得といえるかもしれません。

ただ、世の中には、お金をいくら積んでも買えないモノが存在するように彼らの時計を手に入れたければ、お金だけではなく完成を待つ「時間」という条件があることもお忘れなく。

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