バブルの時代には一世を風靡したメンズファッション「アルマーニ」。
今でもモード界の帝王と呼ばれ、ファッション界のトップに君臨し続けています。
アルマーニは「超高級スーツ」というイメージがありますが、実は若者でも比較的手に入れやすい低価格のラインもあるのをご存知ですか?
アルマーニにはエンポリオ、コレッツォーニ、エクスチェンジなどいくつものラインがあります。
しかし、それらはどのラインがランク的にどの位置なのか、ちょっとわかりにくいですよね。
そこで、ここではアルマーニのラインと特徴を、ランクを意識しながら整理して解説していきます。
また、そもそもアルマーニって実はよく知らない・・・という人のために、アルマーニの歴史にも触れました。
これさえ読めば、百貨店に行ってもアルマーニのランクで迷うことはありませんよ。
エンポリオ・アルマーニについて
エンポリオ・アルマーニはジョルジオ・アルマーニのセカンドラインとして、1981年に誕生しました。
ファーストラインのジョルジオ・アルマーニよりは若者層をターゲットとしており、価格も抑えた普及版です。
ファーストラインは制作にデザイナーが直接関わり、生地のコストや莫大な手間などがかかっており、1着が大変高級です。
服自体も、コレクションで発表されるようなもので、実生活には不向きなものが多いのが特徴です。
そんなファーストラインのデザイナーの意図を引き継ぎつつ、量産のために作製されるのが、セカンドラインであるエンポリオ・アルマーニ。
ラグジュアリーな雰囲気はそのままに、一般的に手に入れやすい価格になっています。
コレッツォーニ・アルマーニについて
コレッツォーニはメンズラインがディフュージョンラインとして立ち上げられたものです。
また、普及版であることから、メンズのビジネス・ラインとしても捉えられていますが、オフィスカジュアルや多目的に着られるナチュラルな服も多く提案しています。
コンセプトは「バーニーズニューヨークのビジネスシーンで着るアルマーニ」。
ターゲット層は30代、40代です。
エクスチェンジ・アルマーニについて
「A/X アルマーニ・エクスチェンジ」は若者がファスト感覚で楽しめるラインとして誕生しました。
内容もカジュアルで、フード付きのフリースやニット、カーディガン、スウェットやニット帽など普段着感覚で着られるものばかり。
このブランドにはアルマーニが思い描く現代のワードローブへの想いが詰まっており、「私は実際に着用する人のためにデザインをし、常に顧客のことを考えています。実用的でない洋服やアクセサリーを制作することは全く意味がありません。」という自身の言葉をそのまま表現したようなラインになっています。
まだあるその他のアルマーニ・ライン
そのほかのラインとしては、
・よりカジュアルな「A/J アルマーニ・ジーンズ」
・エンポリオ・アルマーニのスポーツラインである「EA7」
・2005年に発表されたオートクチュールのプリヴェ
・子供向けラインの「アルマーニ・ジュニア」
があります。
様々な顧客に応じたラインを次々と生み出し世に送り出すところは、完璧主義なアルマーニらしさを象徴しているでしょう。
このように多岐にわたりラインがありますが、ランクの格で見てみると次のようになります。
プリヴェ
↑
ジョルジオ
↑
エンポリオ
↑
コレッツォーニ
↑
ジーンズ、EA7
↑
エクスチェンジ
一般的にラグジュアリーブランドとして認識されているのは、ファーストラインのジョルジオ・アルマーニで、その下にエンポリオとコレッツォーニが来ますが、この二つのブランドをとってみても、ほかのラグジュアリーブランドと遜色がないくらいの印象です。
ですから、ビジネスシーンでの着用の対象となるのは、エンポリオかコレッツォーニといったところではないでしょうか。
アルマーニとは
シンプルで着心地の良い服を完璧なまでに追求し、世に提供し続けているアルマーニ。
複数のラインがあるアルマーニですが、そもそもアルマーニを作った人物とはどんな人だったの
か、その歴史を見ていきましょう。
か、その歴史を見ていきましょう。
アルマーニの歴史
アルマーニの創始者、ジョルジオ・アルマーニは、1934年、ちょうど第二次世界大戦が始まる直前に、イタリア北部のピアチェンツァに生まれました。
ジョルジオには兄のセルジオ、妹のロザンナ、そしてジョルジオが生まれた時には既に亡くなっていた姉のシルヴァーナがいました。
戦時下の貧しい時代、幼少期のアルマーニの楽しみは映画だったそうです。
ちょっと、映画「ニューシネマパラダイス」を思い出しますね。
あの映画もちょうど戦時下のイタリアの貧しい村での話でした。
ジョルジオ少年は物がない時代、唯一の楽しみであった映画から、豊かな感性をたくさん受けたと考えられます。
ジョルジオの母親はとても愛情に溢れた人で、躾は厳しかったのですが、戦時中のもののない時代でも、配給品の軍服やパラシュートの生地を使って子どもたちの衣服を作っていたと言います。
また、父親はファシスト党員で、揃いの制服を着ていました。
この母親の創意工夫やセンス、父親の思想や着ていた制服が、のちのアルマーニのファッションに多大な影響を与えたことは言うまでもありません。
高校時代には、他の生徒とは明らかに違う美的センスを持っていたようです。
他の生徒は自分で選ぶのではなく、親から与えられた衣服をそのまま着ていたのに対し、ジョルジオは折り返しのないズボン、カットソーなどを着ていて、行きつけのテイラーまであったと言います。
しかし、ジョルジオが志したのはファッション業界ではなく医者でした。
この時代の青年にとって、華やかなファッションの道へ進むという選択肢は、誰の頭にもなかったのかもしれません。
ジョルジオはミラノ大学医学部に入学したものの、やるべき道が見つからず、中退して兵役に着きました。
兵役中では休暇のたびに職探しをしていましたが、幼なじみからミラノの大手百貨店「リナシェンテ」で人材を募集しているという話を聞きます。
1957年、兵役を終えた彼は、リナシェンテに入社することに成功しました。
当時のリナシェンテは、ちょうど普通の百貨店からファッションを発信する有名百貨店へと移行するタイミングでした。
そこへ運よく採用され、建築家ジャンカルロ・オルテッリのアシスタントに起用されます。
アルマーニはショーウィンドウのデコレーションや紳士服の買い付け、写真家のアシスタントなど多くの仕事に携わりました。
その中でも最も才能を発揮したのが紳士服の買い付けでした。
リナシェンテで約7年勤めた後、リナシェンテの広報部長だった人物からの紹介で、アシスタントを探していたニノ・セルッティの下で働くことになります。
ニナ・セルッティは紳士服のプレタポルテ(既製服)という新しい試みをしようとしていたところで、これが新ブランド「ヒットマン」です。
アルマーニはそのヒットマンのデザインアシスタントとなり、ニノ・セルッティからデザインを学びました。
この修行時代、アルマーニの後のスタイルとなるスーツの内部構造を取り払った、着心地の良いソフトなジャケットを提案し、フォーマルなスーツに革新的な風を吹かせることとなったのです。
アルマーニの才能は服作りだけではありませんでした。
プロモーションの腕も発揮し、広告キャンペーンでは斬新な「ヒットマン・バイ・アルマーニ」を展開し、世間を驚かせます。
ヒットマン・バイ・アルマーニとは、服もモデルの顔すらも写っていない広告だったとのこと。
また、この時代「ファッションデザイナー」という言葉がまだ存在していなかったとき、ファッションデザイナーとしてアルマーニを紹介したのが、ニナ・セルッティだったことを考えても、根底から覆す、革新的という二人の考えがとてもマッチしていたことは想像に難くありません。
このヒットマンで働いた8年間は、のちのアルマーニを形成するのに多大な影響を与えた期間でした。
ヒットマン時代には、他のブランドのコレクションを手がけた他、ヴォーグ社の掲載アイテムを選ぶなど、すでにデザイナーとして活躍し始めていたのです。
1968年、ウンガロとゼニアとの仕事をしたきっかけから建築家セルジオ・ガレオッティと運命の出会いを果たします。
のちに、アルマーニのデザイン以外の全ての仕事を一手に引き受け、マネジメント業務を行う人物となる人です。
セルジオはアルマーニに強く独立を進め、2年後の1970年、アルマーニはついにフリーランスのデザイナーとして独立しました。
この時はまだオリジナルではなく、モンテドーロ、シコンズ、ウンガロやゼニア、ロエベなど数社の紳士服デザイナーとして働いています。
セルジオとの共同出資でアルマーニが自分の店「ジョルジオ・アルマーニ」として創業したのは、1975年のこと。
アルマーニが41歳の時のことで、すでにヒットマンで名声を得ていた彼は、このプレタポルテのコレクションでも大成功を収めています。
そのすぐ3ヶ月にはレディースコレクションを展開し、男女の枠を取り払ったユニセックスなウェアを発表し、これが現在の性別を超えたアルマーニ独自のスタイルの原点となりました。
現在女性がスーツを着るのはごく当たり前になっていますが、元を正せばアルマーニの男性的なジャケットとプリーツスカートを合わせたツイードのレディーススーツに端を発しているという説があります。
この時代、アメリカでは女性が労働権を獲得し、社会へ進出するという流れがあり、アルマーニのファッションはそんな女性たちの背中を後押ししたのでしょう。
またこの当時、イタリアのファッション業界はフランスやイギリスに比べ、はるかに遅れていました。
そんな中、建築家やアーティストなどの流行に敏感な人々が、いち早くイタリアのモードを取り入れ、アルマーニを賞賛しました。
アルマーニはこれまでの伝統的な堅苦しいメンズウェアから、ゆったりとしたエレガントな服を提案し、その活躍を聞きつけたアメリカのバーニーズ社から提携の話が持ち込まれます。
1978年にはアカデミー主演女優賞を受賞したダイアナ・キートンがアルマーニのジャケットを着て話題になり、リチャード・ギアが「アメリカン・ジゴロ」でアルマーニのファッションを着ると、世界中に一大旋風が巻き起こりました。
それは日本にまで届き、アルマーニのソフトスーツがバブル時代と重なり、この時代の象徴になったのです。
ただし、アルマーニは時代に翻弄されず、着心地の良い服だけを追求し続け、時代とともに歩んでいきました。
アルマーニ設立から10年後、相棒だったセルジオがこの世を去り、ブランドとしても個人としても大きな痛手を受けました。
ブランドとしてセルジオを失うことは、経営の危機に直結します。
実際、セルジオのいなくなった後、多くの主要スタッフがアルマーニを去っていったと言われています。
ただ、アルマーニのすごいところは、セルジオが行なっていた業務も約1年かけて全て掌握し、自分で穴を埋めたという点にあります。
アルマーニは、一時は崩壊するかと思われましたが、すぐにブランドを立て直し、以前にも増して売り上げを伸ばし続けました。
これをきっかけに妹のロザンナと名のシルヴァーナもブランドで重要な役割を果たすようになり、生産も提携メーカーから自主生産に切り替えるなど、アルマーニグループの再編成に乗り出し成功しています。
1980年代の激動のブランド時代が幕を閉じると、LVMHやPPRなどによるラグジュアリーブランドの売買合戦が繰り広げられましたが、アルマーニはそんな時代背景をよそ目に着々と業績と名声を上げ、独自のスタイルで成長し続けました。
アルマーニはもはや最先端ではなくなったものの、ロイヤル・カレッジ・オブ・アートで名誉博士号を授与したり、タイム誌の「今世紀の100人」に選出されたりするなど確固たる地位を確立。
また、ハリウッドではますますアルマーニ人気が高まり、オスカー賞は別名「アルマーニ賞」と呼ばれるほど、ハリウッドスターがこぞってアルマーニを身につけました。
また、ニューヨークのグッゲンハイム美術館を皮切りに、世界の主要国の有名美術館ではジョルジオ・アルマーニの回顧展が開かれるなどされています。
有名美術館が一ファッションデザイナーの回顧展を、しかも存命中に開くこと自体が異例中の異例とのこと。
もはや生きた伝説となりつつあるアルマーニは、さらなる進化を遂げ続け、2001年には日本を代表する建築家・安藤忠雄デザインのアルマーニ・テアトロをオープンし、2005年にはオートクチュールライン「アルマーニ・プリヴェ」を発表、2006年にはメンズオーダーメイドのライン「ハンド・メイド・トゥ・メジャー」を発表しています。
ジョルジオ・アルマーニ
アルマーニのいろいろなラインを見てきましたが、肝心のファーストラインをご紹介していませんね。
アルマーニのスーツといえば、ゆったりとしたバブル時代のスーツの印象をお持ちの方も未だ多いと思いますので、ここで現在のジョルジオ・アルマーニのスーツを少しだけご紹介します。
パンツの独特なシルエットは、唯一無二の世界観を醸し出していますね。
とても素敵だけど、どのシーンで着たらいいのか、TPOには迷うスタイルです。
デザイン性の高いスーツで、ビジネスにはちょっと不向きですよね。
むしろ。結婚式の二次会やパーティーなどに適しているかもしれません。
ジョルジオ・アルマーニは、デザイナーのコンセプトを100%表現したラインです。
価格よりも創造性を重視しているため、必然的に価格も跳ね上がります。
ほかのラインに様々な生活シーンを任せられることで、アルマーニ本人の美をとことん追求しているラインと言えるでしょう。
アルマーニまとめ
たくさんのラインがあるアルマーニ。
そのランクと製品の特徴を解説しました。
エンポリオ・アルマーニはメインラインであるジョルジオ・アルマーニの普及ラインで、消費者を意識したラインナップと価格になっています。
コレッツォーニはバーニーズニューヨークのビジネスシーンで着るアルマーニというコンセプトで、価格帯もジョルジオ・アルマーニよりは抑えています。
エクスチェンジは完全なカジュアル路線で、若者でもファスト感覚で着られるというコンセプト。
しかし、そこはアルマーニだけあって、この価格でファスト感覚と言える若者はとても限られていると思いますが。
そのほかのラインとしては、よりカジュアルなアルマーニ・ジーンズ、エンポリオ・アルマーニのスポーツラインEA7、オートクチュールのプリヴェ、そして子供向けラインのアルマーニ・ジュニアがあります。
百貨店でアルマーニを購入するとき、もうどのラインがどのランクかということで迷うことはありません。
どのラインもそれなりの価格はしますが、全てジョルジオ本人の「現代のライフスタイルに即したシンプルな服」という哲学が反映されているので、安心して購入してくださいね。